「信仰の庭」

いつからここに有るのだろうか?という問いかけは、

いつまでここに有るのだろうか?と同じように意味をなさない

 

流れる時間が乾き、顔を出した石畳から思い出がそこら中に溢れる、

とんがって・丸まって・ぶつかって・散らばって、追憶を折り合わせて

筋になって遠くに行ってしまう。

そして少し寂しくなり柔らかな暖かさが残る

 

百年、千年、もっと昔の人達が悩み・愁い・歓喜した空間で、

遥かな思いを巡礼させ感情で祈りを捧げる。

その時、過去と未来は一筋の光となり、線上の価値は全て等しい、

内面の探求に向けていた意識の果てが外界とつながり、

自己と現実が一つになる

 

穏やかな幻影にまどろんでいる幼き小さな自分の手と、

年老いて小さな自分を引いている足元に、

まだそんなことも分からないのかといって、蟻の行列が続いている