奇跡よりもありふれた微笑みを  

 

大人になって年を重ねると

頑張るということが分からなくなる

 

採用されない夢物語を作るため、

何人もの優秀な人たちが夜を徹して奮闘したり

 

日々、判断の目を養って高みを目指す人たちが無理難題に、

不可能という返答をさせてもらえない仕事がある

 

この世界では頑張っているという強調のために、

多くの労力が費やされることに真実が分からなくなる

 

次の一手のために犠牲となって時間稼ぎをする血塗れの戦士や、

負けると分かって会談に挑み、涙を堪えて泥を飲む勇者の背中を、

何回見て来たのだろう?

 

なぜ、今までの努力の結晶である実績を徒労に終わらせるのだろう?

 

人間がどんどん知恵を付け、

始めはほんの優しさで処理していた余計なものが、

膨らみ過ぎて、大切な部分を圧迫する

皮肉すぎて笑えない病魔のように社会に取り憑いて、

痩せ行くために頑張っている

 

このまま世界が悲鳴も上げられずに倒れるのだと思うと、

神秘的な存在に頼りたくもなるが、

願った奇跡が起こって一番初めにに戻れたなら、

多分同じ時間を掛けてまた同じ運命を辿るのだ

 

もう、仕方がない

受け入れても拒否してもいい、

だが、これは仕組みであって

選択出来るものではないのだ

 

嘆くよりは通り過ぎよう

 

ただ、あなたが誰かのために微笑むことが出来たなら、

滅多に起こらない奇跡よりも疲れを癒すだろうし、

誰かのために声援を贈ることが出来たなら、

悔しさで圧迫された誰かの心をほぐせるだろう

 

そうだ、どんな世界に投げ出されても、

頑張っている人には頑張れと言える人間で私はありたい